本来、スケートボードの出発点は、皆「楽しい!!」等のポジティブな所から始まっているかと思います。
そんな初心は忘れるわけもない事が大前提での”敢えて”の俺のBLOGなので、たまには俺なりに思う面白い事をテーマに書いてみます。
で、今回のお題は「目線」、海外だと正式に何と言うのかは分かりませんが、俺の知る所で英語だと、「EYE CONTACT」とか「BEAMING」とか、後、恐らくスペイン語だと思うのですが「MIRA(MIRA)」と言われていたりもします。
(↑目線で名を馳せるDAL THE HANDSOME氏のシグネーチャーTシャツ、人よんで「ダルT」のデザイン。)
基本、俺のBLOGは嘘くさい言い方にならないように気を付けて書いているのですが、ユーモアを失う事とは別なので、たまには大ぼら吹き中村、と化す事もある中、VHSMAGの読者層に超初心者もいるかもしれないので説明すると「目線」と言えばスケボー業界では「オーリー」と同じくらい重要なキーワードなのでスケボーを本気でやろうと考えている人は絶対に覚えておいて下さい!!
でないと、少しオーリーが出来るようになり、地元の有名スポットにデビューを果たした初日、「最初は緊張しながら来たけど、ローカルの人達、良い人ばかりで良かった、向こうから話しかけてきてくれるし~!!」と汗を拭きつつ帰り支度をしている時に、隣で先ほどの上手なローカルスケーター達の「ナイジャのあの目線、超やばかったよね~!」みたいな会話が耳に入り、「目線ってなんなんですか~!!」と尋ねた瞬間、優しかったはずのお兄さん達の形相が、大魔神の如く「っていうか、目線も知らないあんたみたいな初心者、この公園で滑るのまだ早くね~?」となってしまっては後の祭りです。
という事で、嘘八百は置いといて、俺なりの目線へのこだわりを語ろうと思います。
で、↓は分かりやすい一例ですが、簡単に言うとカメラ目線を入れたままスケボーする事です。
これは俺の推測ですが、時系列を考えると少し前に世界的に「目線」が流行ったルーツはTHE BERRICSで紹介されたこれらの俺の6トリックがきっかけの一つであった可能性は高いと考えています(一部の研究熱心な人は気がついているかと思いますが)。
ちなみにこの6トリックは技を順に説明していくと、「ダブルフリップ」「フリップクロスフットアウト」「バックサイドノーコンプライリバート」「フロントフットインポッシブル」「フロントサイドプレッシャーハーフフリップレートフリップリバート」「フロントショービットレートフリップ」を夏の炎天下の中、全てカメラ目線入りで1時間ちょいで撮りました。
ですが、実は「目線」とは言いましたが、厳密にあの場合は俺は「みるみる」と呼んでいて、「目線」とは似て異なる別の概念です。
先に述べた恐らくスペイン語の「MIRAMIRA」が偶然にも日本語の「みるみる」とも似ていて不思議な気もするのですが、あの手の感じは単にカメラを見続けたまま技が出来るかに挑む、といったコンセプトなのだと思います。
有名なインスタアカウントだと MIRAMIRASKATE などがあったのですが、今、久しぶりに確認してみると何故だか全投稿が見れなくなっていたので、ハッシュタグで #MIRAMIRA2015 あたりでチェックしてみて下さい。
で、その一見似て異なる「目線」と「みるみる」の違いを俺なりに説明します。
まず、俺がスケートボードシーンに何故か「目線」という当時としては俺の中で意味不明(笑)だった概念がある事を知ったのは、約25年程度前、当時、回し等のテクニカルトリックばかりをこなしつつも、そこに違和感を覚えだし、コピートリックばかりではなくスタイルやオリジナリティという概念がスケーターには重要だという事を少しづつ理解しだした転換期の頃、その転換のきっかけとなった大阪のレジェンドの1人OZAこと尾崎君という人に色々と教えてもらう様になりだした頃でした。
尾崎君は俺のスケート人生に大きな影響を与えた数少ないうちの1人で、ネットも無い時代からジェイ・アダムスよろしく「STYLE IS EVERTHING!!」を体現する滑りをする一人でした。
しかも実際、まだネットも無い時代に関わらず、ジェイ同じく「チョッパー、お前な、確かに技は上手いかもしれんけどな、スケーターはなんぼ技が出来たところで、スタイルもなくてダサかったら終わりやぞ!!」と凄く重要な事を教えてくれたりしていました。
そして、俺の中で尾崎君といる時は時空を超え、当時のアメリカ西海岸にでもいるかの様な錯覚すら覚える様な人でした。
そもそも俺は、偶然自分より早く生まれてきただけが理由で中身の無い様な年配者を敬う様な事は馬鹿らしいと考え、先輩と言う概念が大嫌いだったので部活みたいな事も大嫌いでした。
だからスケーターになったのだと思います。
が、尾崎君との出会いで「こういう大人の事を真の先輩と言うんやな!!」という事も学びました。
その他にも尾崎君から学んだ事はもっと沢山ありますが、当時のスケーターやPUNKのコミュニティにはその独自な感じが今の時代以上に凄く色濃かった様に感じます。
ここで誤解してほしくないのは、俺は古いだけで中身の無い懐古主義には興味はありません。
ですが、本当のこだわりを持った古き良き物事は大事にし、更に若い人達へ伝えていくべき責任もあると考えています。
要は「古ぼけた物事」と「古き良き物事」とは似て異なり、俺は自分なりにちゃんと区別しているという事です。
なので、俺の外見上の今のスケートスタイルからは分からないかもしれませんが、実は25年も前に尾崎君から受けた古き良き影響の本質は今でも大事にしています。
当時の関東やその他の土地の状況は詳しく知りませんが、あの独特な時代感を知っているスケーターならばお互い知らない土地で過ごしたのだとしても、その感覚を共有出来る同世代の人も少なからずいるのではないでしょうか。
俺の中では尾崎君の住んでいた大阪は平野の喜連瓜破というローカルな場所にアメリカ西海岸があったのです。
これを読んで、そんな尾崎君も関わる数少ない本当のこだわりを持ったスケートにも興味のある人は是非、TOKYO Z-BOYZのWEB SITE もチェックしてみて下さい。
また、その通販サイトでは現在主流のスケートカンパニーしか知らない若い人達の目には触れ難い本当にコアなブランドなども取り扱っているので是非、そちらもチェックしてみて下さい。
(ちなみにSNS上の一部のスケーターの間で最早流行り言葉ともなっている「ド渋!!」もルーツは尾崎君かと俺は推測しています(笑)。)
そして話を戻し、そんな頃に色々学んだうちの一つが「目線」でした。
当時の海外の有名どころで言うと、恐らく90年前後であろうSANTA CRUZのビデオの影響もあり、アーロン・マレー、ブッチ・スタービンス、ジミー・アコスタあたりかと思いますが、単に目線を入れれば「スタイルだ!」とか「格好いい!」という誤魔化しが効かないのは今も同じどころか、ネットも無い中、直観力を頼りに感性で滑っている当時のスケーターの目は今以上に厳しかったかもしれず誤魔化せるわけもありません。
(ちなみにブッチ・スタービンスは日本のスケートシーンを大きく変えた一人、FESN主催の森田氏のフェィバリットスケーターのうちの1人と言えば、いかにスタイリッシュなスケーターだったかは想像して貰えるかもしれません。)
↓そんな彼らの目線や90年前後の当時で言うスタイル重視の滑り
更に偶然にもこの記事を書いているタイミングでブッチのスタイリッシュで伝説的なウォール上でのグラインドの映像が本人のインスタに上がっていたのですが、プライベート設定なのでリンクが貼れませんでした。
興味のある人は自身で掘り下げてみて下さい。
彼らの映像を見て分かると思いますが、当時で言う「目線」とはクールなスケートの要素の一つであり、今でいう「みるみる」の様なギャグっぽい要素とは異なるものだったのです。
そんな彼らの滑りですが、今で言うスタイリッシュの概念とは違えど、それこそ情報でなく感受性で拾っている若い人なら、それが当時なりのスタイリッシュな滑りであった事は感じて貰えるはずかと思います。
更にスタイルだけでなく垂直壁へのグラインドの難易度からもやはりスキルありきのスタイル、誤魔化しはきかないと先ほどの弁を裏打ちしているかと思います。
時代も大きく違うのでピンとこない人も多いかもしれませんが、今で言う所の上っ面のフォームだけ憧れのスケーターになった気分で「くにゃくにゃ、ノーコン、クイックぅ~!!」みたいに真似ればどうにかなるわけでもないのと同じです。
いつの時代も本物と言われる人もいれば、そうでないと言われる人もいる、見た目は変われど本質は普遍ということでしょう。
Part2に続く
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